2015年12月16日水曜日

わがとこの米

とても久しぶりのブログになりました。
Facebookページにはちょこちょこアップしているのですが、秋はいろいろたてこんで、落ちついて文章を書くことに時間と気もちが向かなくて。

ちょっこし落ちついたので、つちのと舎2015年の最大の出来事「米づくり」を振り返りたいと思います。

結果から言うと、12月16日(水)現在、わがとこの米を食べてます♡
でもまだ脱穀終わってませんw

さて、これは5月の写真。
お隣の田んぼではきれいに田植えが終わったころです。私たちの田んぼは「不耕起でやってみよう!」とそのまま(といっても、休耕田だったので草刈りしたり、草を焼いたりはしました)水を引き入れてみたのですが、そのままでは水が広がらないということがわかり、耕さないけど草を抜いて徐々に水を広げていきました。


田んぼに景色が映るようになったときは嬉しかったなぁ・・・
おかげさまで田んぼに水が入って、5月末に田植えができました。


すくすく育つ稲たち。これは9月の写真です。
不耕起にするとよけいな草が生えづらいと、自然農の本で読んだことがあったのですが、今回、よけいな草がほとんど生えなくて、草取りを一度もせずにすみ、水が入るまでは大変だったけど、かえって楽をしました。
来年はどうなるかな?


10月、黒い塊が稲に付着。
病気になった!?とあせったのですが、調べてみると麹らしく・・・
現代の一般的な農業では「稲麹病」と言われ、商品価値を落とすものとして嫌われているのですが、伝統的な農の中では稲魂と呼ばれるなど「豊作のしるし」とされ、さらにお酒の醸造に使われるのだそうです。
ちなみに、寺田本家のお酒は稲麹で醸されているそうですよ。
http://www.teradahonke.co.jp/ina.html


10月、稲刈り間近の田んぼ。
朝もやが広がり、木次線が横を通りぬけていきます。
山裾から道路と線路をまたいで、久野川(斐伊川の支流)のほとりにあるこの田んぼは、イノシシに入られず、柵を作らなくて良いのがありがたい!
2年前に住んでいたところで田んぼに挑戦した時は、柵づくりが間に合わず、実り始めた米を山の神様(イノシシ)に捧げることになったので、このありがたさは身にしみます。

(ちなみに水は久野川からひいているのではなく、山から流れてくる水です。)


10月28日、稲刈りの日の朝です。

ベテランの方が手伝いに来てくださって、なんと1日で終えることができました!

支柱を近くの方にお借りして、はで干しに☆


田んぼをしてみるまでは、田んぼの作業のイメージはここまででした。
やってみて初めてわかりました。ここから食卓までの道のりのけわしさを!
いただいた「千歯こき」の歯を、家にあった台に固定して脱穀作業。
これが大変で、まだ終わってませんww


ゆずっていただいた唐箕でごみをとばします。唐箕の威力、すごいです!
さらに手作業で稲穂をほぐして、籾がばらばらになるようにします。
(これもけっこう手がかかる・・・裕美は苦手な作業w 浩己の持久力が光ります。)


籾になったものを、文明の利器で籾摺りします。
手動の籾摺り機を試したこともあるんですが、あまりうまくいかず・・・
今年の浩己の誕生日プレゼントとして購入しました。
『オータケFC2K』農家に愛され、使われ続けて30年以上、
完成度の高いこの機械に、いろいろ助けてもらえそうです^^


11月26日!とうとうごはんを食べました!!
 
ハッピーヒル、けっこう甘みもあって美味しいです♡
ちなみに土鍋でごはんを炊くのは日常のことで、東京暮らしの時からしています。

移住して5回目の秋、とうとう「わがとこの米」を食べることができました。
主食である米が自給できることの安心感・安定感ってすごいな。

お世話になっている方々へ差し上げる用にパッケージ。
お友達のごんちゃんが作ってくれたハンコでかわいらしくなりました^^

ちなみにパッケージの下にあるのは、『田舎暮らしの本1月号』
裕美が先輩UIターン者として紹介されてます。

今、浩己はコールセンターの会社で仕事していて、裕美はダンスの授業など体育の仕事を中心にしていて、仕事の仕方は町での生活とあまり変わらないのだけど、そうした仕事をしながら田んぼや畑とともに暮らすことができるのがありがたいです。

いろいろ落ちついてきた時期でもあり、
冬至の日にささやかなおまつりをすることにしました。

冬至のひなたぼっこまつり
かつて東京の三鷹台で暮らしていたときに関わっていたおまつりの名前をいただきました。地域とのつながりや農への興味など、今の暮らしにつながる種をたくさんもらったまつり。今度はここで、私たちが種まきしようとおもいます。

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